2009-08-04

詩に対する批判とその解決

詩に対する批判としてまず、詩作の技術そのものとの関連において解決しなければならない批判がある。
アリストテレスの「詩学」第25章からの引用
「不可能なことが詩につくられた、これは誤りである」といわれる。しかし、不可能なことを詩につくるのは正しいことである、もしそれによって詩作そのものの目的-その目的については既に述べた-が達成されるなら、すなわち、もしそれによって当の部分または他の部分がいっそう人を驚かせるものとなるなら。その一例は、「イーリアス」におけるヘクトールの追跡のくだりである。
「イーリアス」8・489以下のトロイアー軍の集会でヘクトールがかがり火をたくよう部下たちに命じ、薪が集められてかがり火が燃える場面が語られ、ついで9・13以下のギリシャ軍の集会の場面でトロイアー軍のかがり火のことが取りあげられるが(76-77)、このことはトロイアー軍の集会とかがり火の場面と、ギリシャ軍の集会の場面とが同時に進行していることを示す。(松本仁助・岡道男訳注、以下同じ)
同様のことを悲劇について考えてみると、いまAを舞台の上で起こるとするなら、Bは舞台の外で(Aと同時に)起こって、Aのあとで「報告」の形で舞台上の人物に伝えられることになろう。ここでは、AとBが同時に起こった出来事であったことをあとから示すのは可能であるけれども、叙事詩におけるように両者が同時に起こりつつあることを示すのは不可能である。したがって、再現されるのは舞台に結び付けられる部分(すなわちA)だけということになる。